「映り」としての圧縮

Reflection as Compression

2020
Live-Installation
群馬県桐生市 山治織物工場
東京藝大アートフェス 2021 優秀賞


 過去に仕切られた場所はずっと仕切られ続けるのだろうか、 あるいは、「仕切り」は設置された場所をずっと仕切り続けるのだろうか。 はじめて展示場所の写真を見た時に、一番気になったのが仕切りだった。 役割を終えたはずの設えが、まだその機能を持ち続けていることへの興味と、 建物があり続ける以上、たとえ人間がいなくなったとしても その機能が続いていくという果てしない畏怖の念のようなものを感じた。 特にこのパンデミックの状況の中では、感染予防のためにアクリル板や ZOOMの画面などに仕切られてばっかりだったということも 仕切りに興味が湧いた要因のひとつである。 役割が消失した機能に人間が再び関わりを持つにはどうしたら良いだろうか。 今回はそのような興味から、仕切りに直接手を加えるのではなく、 間接的にその仕切りを開放することは出来ないだろうか、と考えた。 仕切りの近くに仕切りに似せて制作したオブジェクトを設置し、反対側からカメラで観測する。 そして、正面のモニターにカメラで観測した向こう側の「今」を映し出す。 実際に見える今と、本来は同時に見ることができない反対側の「今」が 同時並行的に見えるように設置し、「過去に仕切られた場所」を融和することで、 過去の事象と今起こる現象による対話を試みる。 仕切られたり、カテゴリーで分けられたり、分断されたときに、 直接融和することがなかったとしても 間接的にそれらを解くことは可能なのかもしれない。 作品が触媒として機能し、私たちの知覚する現象と、 そこから生まれる意識の反応する中で、仕切りは解かされる。